はぐれ看護師、野をすすめ② お金がなくて東大でホームレスになった話。

親の金、子の学力

前回、ついに専攻長に認められ、看護学科へと異動できることになったと書いた。その過程で一度、このように異動を断られたことを覚えていらっしゃるだろうか。

「資金はどうするのです?実習中はとてもアルバイトなんてできませんよ?その用意ができていなければ異動は認められません」

そう、私にはお金がなかった。
もっと言えば、我が家にもお金がなかった。

小学生の頃には友人たちと遊びに行っても、一人だけお菓子が買えずに指を咥えて眺めているばかり。友人からは「貧乏人」とバカにされたこともある。
大学院入学時に授業料免除のために親の源泉徴収票を取り寄せたのだが、二人の年収を合わせても私の看護師としての初年収の半分以下だと知った時には、「うわ、やば」と引け目を感じた。
まぁそういうわけなので、学校も地方公立から死に物狂いの努力をして、身の丈に合わない東京大学への入学を果たしたが、入学して驚いたのは学友との環境の違いである。
ご存知の人もいるだろうが、東大生の親の50%以上は年収1000万円を超える。親が大企業の役員、官僚、弁護士や経営者、大地主などはざらにおり、そういった親の子供たちは幼いころから海外留学、著名な塾、音楽や語学などの習い事の経験を積んでくる。毎年必ず家族で海外旅行に行く者もいるし、友人の家に遊びに行った際にはあまりの豪邸に言葉を失った記憶がある。

「東大に入ったら、どれだけ凄い奴らがいるんだろう」

と入学前からワクワクしていた。
確かにみな凄い奴らばかりであった。
語学に堪能で、海外経験も豊富、ピアノも弾けます、と。

最初は、「俺みたいな凡人が東大に来たのは間違っていたんだ」と悔しさを噛みしめていたが、暫くして友人たちが育ってきた家庭環境を知ることで気づいた。

「違う、生まれ持った才能だけじゃない。その裏に格差があるんだ。」

皆が生まれたときに同じ地点からスタートしているわけではないのである。
勉学に励むことのできる人間になるためには、幼いころから学ぶことの意義を教えられ、そして努力することを許される家庭で育つ方が有利だろう。潤沢な資金を投資され、その中で”正しく”努力することを教えられていくのである。

「努力できて凄いね」というのは、その人単体への誉め言葉のように聞こえるかもしれないが、その背後には「努力は報われる」ということを教えてくれた優れた親、教師がいるのである。

思えば、東大で体験したこのような格差が、私の中での看護への想いを育てていったのかもしれない。
看護学とは、「後天的に他者を愛することを学ぶ学問」だと私は思っている。人を愛するためには、幼い時に親から愛情を注がれた経験が必要だと私は思っているが、では例えば親に虐待された児、親を喪った児は人を愛することができないのか。生まれ持った環境によって、「人を愛せるかどうか」が決まってしまって良いはずがない。
専門によっても異なるが、看護の対象とは弱者と呼ばれる方々である。新生児、妊婦、高齢者、障害者、そして病う人、そのような方々に寄り添い、手の差し伸べ方を学ばせるものが看護学である。看護理論、看護技術や看護診断、そうした具体的な学問体形を通して、目の前の相手がどんなことに苦しんでおり、どうしたらその苦しみを癒すことができるのかという思考を獲得していく。
「学問によって、人が人を愛するということを後天的に獲得できるのだとしたら、それは人が生きるうえで大きな希望になるのではないか」、それが私が看護を選んだ動機の一つであると思っている。

 

 

ホームレス生活、始め

そうした理由で異動を志した看護学科であるが、資金難によってあえなく私の志は散った。
親に頼れれば良かったが、当然ながら我が家にそんな資金力はない。私は既に演劇のために3年間留年していたので、学費免除制度も対象外となってしまっている。
どうやってお金を捻出しようか。
出費を見直していた私は気づいた。

「家賃高くないか?」

このコストをゼロにしてしまえば、毎月かなりの額を貯金できる。
そして殆どの荷物を捨て、解約手続きに赴き、東大でのホームレス生活を始めることにした。

東大生には分かるかもしれないが、東大のキャンパス内にはゆっくりと休憩できるスポットが沢山ある。殆どのビルには学生のための休憩スペースが用意されており、そこには心地よいソファーがあるのである。東大歴が長い院生などは、それぞれお気に入りのお昼寝スポットを持っているのではないだろうか。
寝ることのできるスポットを探すために、まず私は東大の建物を片っ端から調べていくことにした。私が拠点としていた医学部ゾーンにも休憩スペースがあることは勿論知っていたが、連続して一か所に留まり続けると「あいついつも夜いるけど、誰?」と問題になる可能性が高いと思ったためである(私は学生であり、夜間立ち入りを禁じている場所でもないため、規則上は問題はないはずだが)。
東大には恐らく百を超えるビルがあると思うが、そのひとつひとつを、一階から最上階まで探検した。
脚を延ばしてもはみ出ないソファーがあり、あまり人の出入りがない場所が望ましい。防寒、防暖のために休憩室の利用者が自由にエアコンのスイッチをいじれる場所であれば、なお良い。

こうして幾つかの就寝スポットを見つけ、転々としていくのであった。

 

 

ホームレスのとある1日

試しに、とある1日を紹介しよう。

朝は6時に起床。
あまり遅くまで寝ていると、生徒、教員が来てしまい、「あそこで時々寝てるやつ誰?」となり、せっかく見つけた就寝スポットを失ってしまう。
その後、本郷三丁目のマクドナルドに行き、ソーセージマフィンを二つと、お水を貰う。ソーセージマフィンは1個100円と安価だが、ボリューミーで、お肉も食べられるので、その日のエネルギーを蓄えるのには丁度良いと思っていた。

日中は授業に出席する。
余談だが、上記のような生活をしているので、絶対に遅刻しないどころか、朝は暇すぎて授業開始1時間前には教室に入っていた。

夕方、お風呂に行く。
東大にはジムがあり、数千円を払えば半年、もしくは1年間のフリーパスをゲットできる。半年パスをゲットした私は、毎日このジムでサウナ、シャワーを浴びていた。夏場にジムに行きそびれた日には、さすがに身体を洗わないのはまずいと思ったので、障害者トイレで全裸になり、濡れタオルで身体を拭いたこともある。私は結構タフな方だという自信はあるが、さすがにこのときは堪えた。
服は無印良品の麻のシャツとズボンを2着ずつ、パンツを数着所持しており、夜な夜な障害者トイレで手洗いしていた。着替えは学生ロッカーにまとめて置いてあった。麻のズボンはヘビロテしていたので、ある時からお尻に穴が開いてしまった。さほど気になることでもなかったので、研究室にあったホチキスでパチパチして使いまわしていた。

ご飯は学食で。
昼と夕は学食。学食の良いところは、それなりに安く、かつ栄養バランスの考えられた食事を摂ることができる点だ。私はいつも、ライス(大)と豚汁、それに野菜の小鉢をオーダーしていた。豚汁は豚肉という貴重なたんぱく質を摂取できることに加えて、野菜も沢山入っており、それに「ああ、食った食った」という満腹感を得ることができる。Twitterの自己紹介にも「好きな食べ物は豚汁」と書いているが、それは豚汁が私のホームレス生活の大切な栄養源であったからだ。
私がこのような生活をしていたことを知っていた先生たちは、時折お昼ご飯に誘ってくれ、お弁当を買ってくれたこともあった。卒業した今でもFacebookのメッセージを差し上げることがたびたびあり、あの時に助けてくださった先生方には心の底から感謝している。

食後のお勉強。
食後は図書館へ向かう。といっても、毎日そんなに勉強していたわけではなく、youtubeであったり、図書館に備え付けの映画、ドラマDVDを借りて観ていた。東大校内には小さいものから大きいものまで、学内のいたるところに図書館があり、エリアが変われば置いてある専門書も変わるため、毎晩冒険するのが楽しかった。お気に入りは、医学部図書館にある水俣病ドキュメンタリーシリーズのDVDであり、食い入るように見ていた。

そして就寝。
就寝場所に行くのは24時くらいである。起床時と同じように、早く行き過ぎると帰宅する生徒、教員と鉢合わせになってしまい、「あいついつも夜遅くに来てるけど、誰?」と問題になってしまう。立ち入り禁止区域ではないため規則上は問題ないはずだが、私もそこまで図太くはなれなかった。
寝る際も同じ服のままであったが、毎晩学生ロッカーから大きなブランケットを取り出して持ってくる。ちょっと厚手のブランケットなのだが、枕にもなれば、冬場は掛物にもなり、本当に助けられた。しかし、冬場はエアコンを入れてもさすがに寒い時があり、この時はロッカーからジーパン、ニットを引っ張り出してきて、身体の上に掛けていた。面積が狭く、横を向くと服が落ちてしまうので、ストレスであった。
時折、警備員がエレベーターで上がってくるが、休憩スペースを除くということは無かったので安心である(繰り返すが、立ち入り禁止区域ではない)。それでも、鉢合わせると困ってしまうので、エレベーターの音がすると目を覚まし、トイレにさっと隠れていた。漫画ハンターハンターの暗殺一家の子供にキルアというキャラクターがいるが、「キルアってこんな気持ちなのかな?」と考えたことを思い出す。エレベーターがそこまで来てしまい、「もう間に合わない!」という時には、「あたかも研究疲れで一休みしていたら、ついつい遅くまで寝入ってしまった学生」を演じ、警備員に聞こえるように「あっ、やべ、もうこんな時間か」と呟いて、急ぐ様子で帰り支度をしていたものだ。と言っても、当然帰る家があるわけではないので、その時は別の就寝スペースへと移るのである。常に人の気配に気を配っての就寝であったため、熟睡するということは中々できなかった。土日は人の出入りも少なくなるために、お昼前までぐっすりと休むことができ、それが楽しみだった。

 

 

省みるホームレス生活

こうした生活を約半年間続けた。
今思えば、よくもまぁ半年も続けられたと思う。
助けてくれた先生方には本当に感謝している。
寝れない夜には、東大の校内にある三四郎池の周りを散歩していた。ベンチに座ってぼーっと池を眺めていたら、警備員の方から「どうしました?何か研究で辛いことがありましたか?」と優しい声をかけてもらった。研究で思い悩む東大生が、突発的な行為に及んだことが過去にあり、私のように夜間一人で池にいる学生を見ると、このように声をかけるのが決まりになっていたらしい。

友人や先生方は私のホームレス生活を大いに心配してくださったのだが、私としては、そこまで辛さは感じていたわけではない。
むしろ、授業には絶対遅刻しないし、バランスの良い食事を摂れるし、ジムのプールで身体を動かすこともできるし、かえって健康になったのではと思っているくらいである。
私には国境なき医師団の団員になるという夢があるが、このホームレス経験は、国境なき医師団に必要なタフさを身につける一助になってくれたとも思っている。「家とかなくても人生なんとかなるな」と、自信を身につけることができた。

お金がないことで不自由を被ることはあったし、今後もあるのだろうが、こうした経験が私を強くしてくれたし、強くならねばならないと思っている。そうでなければ、恨みがましい人間になってしまう。

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