東大を卒業したわたしが看護師になったわけ

やや扇動的で、チープなタイトルとなりましたが、私が看護を選んでからの経緯をお伝えするうえでは適していると考え、このようなタイトルをつけさせて頂きました。

  

私が看護学科を選んだのは

私が看護を選んだのは、2013年の東京大学文学部に在学していた時まで遡ります。  


東大の進学制度は「進学振り分け」という特殊なものでして、学部入学時にには自身の専門は選ばず、文科Ⅰ~Ⅲ類、理科Ⅰ~Ⅲ類の6つの教養課程に所属することになります。そして、これは前期教養課程と呼ばれ、全員が駒場キャンパスにてリベラルアーツ教育をうけます。各自が専門課程に進学する前に、自身の専門に捕らわれず、社会、人文、自然科学を広く学び、思考を広く展開できるようにするための教育です。その後、駒場から本郷キャンパスへと移動する2年後半時、「進学振り分け」制度にて自身の専門を決定することになります。例えば文科Ⅰ類は法学部、文科Ⅱ類は経済学部とある程度傾向が決まってはいるものの、理論上はどの科類で入学しても、全ての専門を選択する権利が与えられます(前期教養課程での試験の成績順に進学者は選択されることになりますが)。

 

この段階で私は最初に文学部言語学専修というものを選択しましたが、肌になじまず、その半年後に医学部健康総合科学科(以下、健総)へと”転学”することにしました(ここら辺の経緯はこちらに詳しく書きました)。この学科はHealth Scienceを疫学、統計学、国際保健、人類遺伝学、生化学など多様な視点から複合的に学ぶための専門課程であり、その中の一部に看護学専修が位置付けられます。

 
当初はHealth scienceを学びたいというざっくばらんな気持ちしか持っておらず、この時点では看護学を修めようという気持ちは無かったのですが、健総にて看護学の教員たちの思慮深く、肌触りのある関わりに触れていくうちに、「このような人間的な関わりをしてくださる方々の背景にある、看護学というのはどのような学問なのだろうか」と看護学へと関心を持つようになりました。ちょっと仰々しい言い方で申しますと、私にとって看護とは「他者への優しさの実践」であり、看護学とはその「他者への優しさを後天的に獲得可能にする学問」であると思えたのです。私の主観ばかりを述べても詮無きことなので、例えばトラベルビーという看護理論家による看護の定義を紹介しますと、

 

『看護とは、対人関係のプロセスであり、それによって専門実務看護婦は、病期や苦難の体験を予防したりあるいはそれに立ち向かうように、そして必要なときにはいつでも、それらの体験のなかに意味をみつけだすように、個人や家族、あるいは地域社会を援助するのである。*』

 

とあります。
時に看護師の仕事は「医者の手伝い」、「病気の時に身体を拭いたり、食事の手伝いをしてくれる人」と表層的なイメージを付与されがちですが、優れた看護実践には人間存在そのものへの飽くなき探求と、眼前の対象への愛が求められており、身体的のみならず精神的、社会的、霊的にも高度な態度が要されるということがこの看護の定義から感じてもらえたら嬉しく思っております。

 

これが、私がまず看護学に魅かれた理由になります。
当時私は「差別、偏見」というテーマに関心を持って、本を読みふける日々を送っておりました。そこでアウシュヴィッツやハンセン病、水俣病などの歴史的過ちを資料を通して追体験していく中で、「人間というものは恐ろしい生き物だ」という、私を含めた人間への不信感が芽生えていたのだと思います。そのような感情体験をする中で出会った看護学は、まさに燦然と輝く星といいましょうか、「他者への優しさをもって、人間疎外に対抗するための学問」と私の中で位置づけられるに至りました。これは、現在でも変わっておりません。 

 

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看護を選んだのはいいものの

こうして選択した看護学ですが、一部の親族や友人にはあまり喜ばれるキャリアではなかったようです。
親族からは「看護師になんかなりやがって」、「まさかずっと続けるわけじゃないんだろう?」と帰省するたび問われ(なので現在は正月、お盆にも全く帰省しなくなりました)、友人にも「ほんとに医者じゃなくていいの?」、「看護師ってなに?」と問われてきました。

確かに、東大の友人たちが官僚や一流企業サラリーマン、弁護士や医師になっていくのと比べると、看護師という職業は「わざわざ東大に入らずともなれる」職業であり、私が当時持っていた(と周囲は認識していたのかもしれませんが)カードから看護師を選んだことで、「勝てる勝負を捨てた」と思われたのかもしれません。

しかしそんな中、私の選択を応援してくれる友人たちもいました。
一人は高校、大学と一緒だったライバルで、もう一人も駒場時代からだらだらと無駄な時間を一緒に過ごしてきた大切な友人です。二人とも今では社会的に立派に活躍しており、時折公共放送のニュースでもその名を見かけるくらいになりました。彼らが頑張る姿を見て、「私も頑張らなきゃな」と思わせてくれるかけがえのない友人達です。

 

閑話休題。

 

さて、ここで改めて私が看護師を選んだ理由をお伝えしたいと思います。先の述べましたのはどちらかと言いますと、”ホンネ”の部分であり、私のパーソナルな経験に根ざした理由になります。
これからお伝えしますのは、それをより社会向きに表現しなおした”タテマエ”の部分といいましょうか、いずれにせよ本心であることに変わりはないのですが、ナイーブなことを言っているばかりでは市場原理で動いているこの世にあって、官僚や政治家、他の医療系専門家たちに看護の意義を伝えることはできないと思い知りましたので、パブリックな場で看護を表現する際に私が述べている理由になります。

 

医療は、ヤバい!

まず、私たちがふだん何気なく享受している医療制度は、実はかなり”ヤバい”状態にあります。何が”ヤバい”のかと言うと。

 

⑴ 医療費の高騰

まず国内において、国内総生産、国民所得に占める医療費は右肩上がりに上昇し続けています。この原因としては、医療技術の進歩、高齢化の進行が主な理由として考えられています。

(厚生労働省. 平成28年度国民医療費の概要)

 

こちらはGDPに占める医療費のパーセンテージを世界レベルで表したグラフになりますが、世界においても同様に右肩上がりの傾向がみられます。

(The World Bank. World Health Organization Global Health Expenditure database ( apps.who.int/nha/database ).)

  

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⑵ 健康格差

50年前に国民皆保険を達成し、「誰でも、どこでも、いつでも」均質の医療を受けられるように設計されてきた日本の医療は世界でもトップレベルにあります**。特に、「非常に低いコストで、高い平均寿命を達成した」という点で日本の医療は世界的に評価されてきました。しかし、勿論乍ら世界のどこ国もそのような高い医療レベルにあるわけではありません。

 

こちらは5歳以下の子供の死亡率を世界の地域ごとに比較した図です。1990年と比較すると2017年の死亡率は大幅に改善していますが、依然として地域間に(オレンジのバーの長さを比べてみてください)死亡率の大きな差が存在することが分かります。

(WHO. Global Health Observatory Data. Child Health)

 

こちらは、15歳から49歳のエイズ有病率の国際比較です。一目見ただけで色の違いがお分かり頂けるかと思います。

(WHO. Global Health Observatory. HIV/AIDS)

 

こちらは世界の人口当たり医療者数。上が看護師・助産師数で、下が医師数です。

(WHO. Global Health Observatory. Health Workforce)

 

 

これらは本ブログの主題ではないので、日本、世界の医療状況への言及はここで留めますが、”ヤバい”ということだけ感じて頂ければ充分です。


だから私は看護を選んだ

ここから、なぜ私が看護学を自らの専門として選択したのかという話に戻ります。

 

さて、このような医療費高騰、健康格差などの公衆衛生上の課題を解決するにおいて、私は「看護師は非常に魅力的な医療資源である」と思っております。

その理由は3つです。

 


⑴ 世界の医療者の約半数が看護師である

まず、看護師は世界の医療者の約半数を占め、”数の利”が大変大きいです。

 

医療職以外の他の専門職と比較しても、看護師の存在感が大きいことが分かります。現在、日本国内に看護師免許保有者は約166万人いまので***、日本人の100人に約1.3人は看護師ということになります。

 

⑵ 看護師は医師と比べコストが低い

こちらは、日本の医療職の教育コストです。MedicineとNursingの教育費および教育年数の差に注目してください。

(WHO. WPRO Human Resource for Helath, country profiles, Japan)

 

こちらは各医療職種の給与です。Doctorの月給が8396$(約91万円)であるのに対し、Nurseの月給が3126$(約34万)と大幅に違うことが分かります。

(WHO. WPRO Human Resource for Helath, country profiles, Japan)

看護師の教育/人件コストが低いということは、看護師側から見れば「改善しなければならない問題点」ではありますが、医療資源という観点から見れば強みであるとも言えるかと思います。

 


⑶ 医師についで広い法的権限を持つ

看護師が法的に与えられている権限は「療養上の世話」および「診療の補助」であると保健師助産師看護師法により定められています。特に後者の「診療の補助」が強力な権限でして、このおかでげ看護師は人体に針を指したり、尿器に管を入れたりといった医療行為の一部を行うことが赦されているわけです。

また、日本では導入が一時断念されてしまいましたが、看護師の上位職にはNurse Practitioner(NP)という資格があり、米国の州によっては通常は医師が行っている診察、処方、開業を行なうことができる看護師もいます。これは「医師が足りてないから、看護師にさらなる教育を施したうえで医師の権限を一部シェアして、医師不足を解消しよう」という動機のもとに生まれた資格になります。

実は日本においてもこのNPの導入は一時期積極的に勧められており、医療資源としての看護師に非常に大きな期待がもたれていました。

 

『看護師の職能範囲拡大として、諸外国の状況からナース・プラクティショナーなどの職能の導入が必要であるとの認識もある』
(内閣府の規制改革会議:規制改革推進のための第 2 次答(2007 年 12 月))


『各職種 が専門性を発揮し、患者のためのより良い医療が行われる体制がとられること を前提に、その職種でなくても行いうる業務を他の職種に担わせるスキルミック スを進めるべきである』
(厚生労働省:安心と希望の医療確保ビジョン具体化に 関する検討会中間とりまとめ(2008 年 9 月))


『専門性を高めた新しい職種(慢性的な疾患・軽度な疾患については、看護師が処置・処方・投薬ができる、いわゆるナース・プラクティショナーなど)の導入について、(中略)その必要性を含め検討すべき
(内閣府の規制改革会議:規制改革推進のための第 3 次答申( 2008 年 12月))


『症状など身体状態が継続的で変化が比較的少 ない状況であれば、専門領域の専門看護師等は、症状緩和のための薬剤の処 方に関する判断基準を医師と共同で開発し、医師不在であってもある一定の裁 量の幅を持って対応できる能力を持っている
(日本学術会議 健康・生活科学委員会看護学分科会(2008年 8 月))

 

残念ながら、厚生労働省、医療系の各種専門職団体間での折り合いがつかずに、このNP導入は見送られてしまったのですが、「医療資源としての看護師の価値が、内閣、厚労省、日本学術会議という行政、学術の中枢を担う組織によって訴えられていた」という事実は変わらないと私は思っています。

 

 

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まとめ

さて、上に述べた3点の理由により、私は公衆衛生上の課題を解決するうえで看護師が魅力的な医療資源だと思っているわけですが、それだけでは私が看護師を選んだ理由にはなりません。

もうちょっと踏み込むと、「こんなに魅力的な看護師という医療資源があるのに、ほとんど活用されてこなかった」という問題があると私は感じていました。

 

そしてその原因は、行政、学術の領域において看護師の活用の仕方が充分に議論されてこなかったことにあると思っております。

 

例えばこちらは、日本の42の国立大学の看護系教員の10年間の英語論文執筆数を調べたグラフです。横軸がそれぞれの教員を、縦軸が10年間の英語論文執筆数を指します。驚くべきことに、10年間で10本以上の英語論文を書いた教員は3.3%に過ぎず、なんと71.3%の教員が1本も英語論文を書いていないということが明らかになりました。

(Kameoka et al. Nurse education today. 2016, 38, 138-43)

 

なぜこのような事態になっているのでしょうか?
これは冒頭で私が親族、一部の友人から言われたことを考えれば分かるように、「看護師という職のステイタスが低いために、学力が高い人材、つまり行政や学術の場で積極的に活動する人材の選択肢からは、そもそも看護が外れていた」からだと私は考えております。

学力の高い層が「医療を仕事にしたい」と考えた際に、恐らく第一選択としてあがるのが医師になり、なかなかそうした人材は看護には流れてこないのではないでしょうか。しかし、医療というのは様々な専門職が集まって提供されるチームプレイな訳ですから、医師にばかり人材が流れてもしょうがないわけです。私の趣味である映画、演劇を例えに出すと、スクリーンの中に樹木希林さんのようなとっても演技が上手い役者が一人いても、他の役者が大根演技をしていたのでは、作品として”観れる”ものにはならないでしょう(樹木希林さんくらいの役者なら、一人で芝居を成立させることもできるかもしれませんが)。

だからこそ、少なくとも国内では基礎学力が高いと言われる位置にある東京大学で学んだ経験をもつ私が看護に進むことで、これまで看護に不足していた「行政、学術分野での活動」を盛り上げることができ、それによって医療全体を底上げすることができるのではないかと考え、私は看護学を自身の専門として選ぶに至りました。

 

私のミッションを一言で表すと、

未開拓な医療資源である看護の潜在可能性を引き出し、公衆衛生上の課題を解決する

 

ということになります。

 

 

そのために、以下の活動をしております。

 

⑴ 大学院

公衆衛生大学院では医療大規模データベースを扱う研究室に所属し、看護師の先輩のご指導を頂きながら、看護のインパクトを量的エビデンスとして示すための研究をしています。

 

⑵ 看護師の学術活動支援

また、個人的に仲間たちと共に「看護の臨床と研究を繋ぐ会」、「大学院進学を目指す看護師の会」、「看護師のための東大SPH受験会」などを主宰しながら、看護師さんの学術活動を支援する会を半年前より始めました。

「もっと学びたい、でもどうしたらいいか分からない」という看護師さん達の想いを拾い上げ、体系的な学びの場へと繋げていくことで、ほんとうにわずかずつではありますが、学術という点から看護をエンパワーメントすることができるのではないかと考えております。

 

 

さて、以上が「東大を卒業した私が看護師になった理由」となります。
やや扇動的なタイトルとなりましたこと、重ねがさね恥ずかしさを感じているのですが、そのギャップこそが私が看護を選んだ理由の根幹にありますので、どうかご理解頂ければ嬉しいです。

本当に遅々とした歩みを送っており、「大それたことを言っているのに、お前自身は何も結果を出していないじゃないか」と悔しく思うことばかりなのですが、気持ちが続く限りは看護に腰を据えて頑張っていく所存です。

看護師の方はもちろん、まったく看護に関わったことがないという方も、今回の記事を読んで頂き、「看護師にはそういう使い方もあるのか」などと頭の片隅にでも置いておいて頂ければ嬉しいです。

ありがとうございました。 

 

  

なお、東大での経験をもとに、看護学生・看護師さんのための「心の折れない正しい勉強法」シリーズも展開しております。「勉強が辛い、もうしたくない」という方、ぜひご覧くださいませ。

 

追記

「看護師の社会的イメージは低い」という前提で書いてきた記事ですが、国が違えば看護師の社会的イメージはまるで変ります。

こちらは米国のGALLUPが毎年行っている「最も信頼できる職業は何か?」というランキングですが、看護師は17年連続ダントツの一位を取り続けてきました。

(https://news.gallup.com/poll/245597/nurses-again-outpace-professions-honesty-ethics.aspx)

 

こちらは同様の調査のイギリス版ですが、こちらでも看護師がランキングに参加した3年前から1位にランクされ続けています。

(https://www.ipsos.com/sites/default/files/ct/news/documents/2018-11/veracity_index_2018_v1_161118_public.pdf)

  

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【引用文献】
*トラベルビー. 人間対人間の看護, 2012, p3.

**Lancet. Japan: Universal Health Care at 50 years, August 30, 2011.

***日本看護協会. 平成29年 看護関係統計資料集.

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